ダ・ビンチ・コードと聖杯伝説について取り上げたいと思います。
★聖杯伝説には以下の様に信じている人びともいるのですね。非常に危険な考え方ですが!? 参考までに、紹介致しますが、信じられませんよね。宗教が、現実と妄想を倒錯させるような典型的な例です。
「キリストのご受難を幻に見て」(p27〜28光明社、,600)より この転載許可を得ようとしたのですが、光明社では、キリスト教会との関係もあり、また、この本は絶版であることもあり、許可を得られませんでした。それで目次のページには載せずに、ファイルにして本文からのリンクのみとしました。(無許可) 『ペトロとヨハネは(中略)ベロニカの家にも行き、(中略)かれらは主が聖体のご制定に使われる杯(カリス)も受け取った。
この杯(カリス)は非常に神秘的な器であった。この杯はすでに長い間何に使われたかまたその起源も忘れられてしまっていた。われわれの所でも古代のいろいろな尊い宝物が時の流れとともに忘れ去られてしまうことが良くあるように、すでに以前から神殿の古い器物が破棄されたり、売り払われたり、作りかえられたりしていたが、この器だけは何で作られていたのがその材料がわからないので鋳潰すこともできずにいた。神の摂理によってこの聖器は神殿の宝物部屋に他のものと一緒に、古くから忘れられた宝箱の中に置き去りにされてあった。それを若い司祭が発見したが、のちに骨董好きにゆずられ、最後に付属品一式とともにベロニカの所有となった。
この杯はもともとは、今のような状態ではなかったが、いつ今のようになったのかわたしはもう思い出すことができない。それはこの杯にほかの器物が附属していたからである。この大きな杯の周りには六つの小さな盃が附属していて、抽出(ひきだし)が出せるようになっている盤の上にあった。杯の中には更に小さな鉢が入っていた。そして小皿が杯の上に置いてあり、さらにその上にお椀(わん)形の蓋(ふた)がついていた。カリスの台には匙(さじ)が指し込みになっていて、用のある時は取り出せるようになっていた。これらの器物は美しい布で包まれた上美しい革製の帽子のようなもので被(おお)われていた。そしてその上には「つまみ」がついていた。この大きな杯は盃自体と足台とからなっていた。この足台は後になってから手を加えられたものに違いない。
盃自体は褐色がかった鏡のようになめらかな足台とは全然違った材料で作られ、梨のような形をしていた。そしてそれは金で被われた小さな二つの取っ手が付いていて、それを持って持ち運べるようになっていた。それはかなり重いものであった。しかし台はいぶした金色で精巧にでき上がり、下には蛇とぶどうが付いていて宝石がちりばめられ、また台には小さな匙(さじ)が差し込んであった。
この大きな杯はエルサレム教会のヤコブのところに残された。そしてかつて発見されたようにもう一度世の中に出て来ることがあるだろう。小さな盃は他の教会に分けられた。一つはアンチオキアに、一つはエフェゾ教会に、残りは五つの他の教会へ持って行かれた。
この大きな杯は以前すでにアブラハムのところにあった。メルキセデクがそれをカナンの土地に持って行き、アブラハムの所でパンとぶどう酒の犠牲を捧げた時に用いた。
その後それはアブラハムに渡された。この杯はまたノアの所にもあった。それは箱船の一番高い所に置いてあった。モーゼもこれを持っていた。この杯はまるで始めから生物のようにこういう形で生まれ出て来たように見え、槌で打ち出されたものではないように見えた。イエズスだけが何でできているのかを知っておられた。』
こんな記事・内容を盲目的に信じられる訳がない!
もし、この引用が不都合な方、もしくは団体の方はコメント欄にてお知らせ下さい!
最後まで読んでくれて有難うございます。そんなあなたに幸運が訪れますように!!この記事の情報提供はダ・ビンチ・コードの解説のオリジナル記事によるものです。
グッドラック!!
★聖杯伝説には以下の様に信じている人びともいるのですね。非常に危険な考え方ですが!? 参考までに、紹介致しますが、信じられませんよね。宗教が、現実と妄想を倒錯させるような典型的な例です。
「キリストのご受難を幻に見て」(p27〜28光明社、,600)より この転載許可を得ようとしたのですが、光明社では、キリスト教会との関係もあり、また、この本は絶版であることもあり、許可を得られませんでした。それで目次のページには載せずに、ファイルにして本文からのリンクのみとしました。(無許可) 『ペトロとヨハネは(中略)ベロニカの家にも行き、(中略)かれらは主が聖体のご制定に使われる杯(カリス)も受け取った。
この杯(カリス)は非常に神秘的な器であった。この杯はすでに長い間何に使われたかまたその起源も忘れられてしまっていた。われわれの所でも古代のいろいろな尊い宝物が時の流れとともに忘れ去られてしまうことが良くあるように、すでに以前から神殿の古い器物が破棄されたり、売り払われたり、作りかえられたりしていたが、この器だけは何で作られていたのがその材料がわからないので鋳潰すこともできずにいた。神の摂理によってこの聖器は神殿の宝物部屋に他のものと一緒に、古くから忘れられた宝箱の中に置き去りにされてあった。それを若い司祭が発見したが、のちに骨董好きにゆずられ、最後に付属品一式とともにベロニカの所有となった。
この杯はもともとは、今のような状態ではなかったが、いつ今のようになったのかわたしはもう思い出すことができない。それはこの杯にほかの器物が附属していたからである。この大きな杯の周りには六つの小さな盃が附属していて、抽出(ひきだし)が出せるようになっている盤の上にあった。杯の中には更に小さな鉢が入っていた。そして小皿が杯の上に置いてあり、さらにその上にお椀(わん)形の蓋(ふた)がついていた。カリスの台には匙(さじ)が指し込みになっていて、用のある時は取り出せるようになっていた。これらの器物は美しい布で包まれた上美しい革製の帽子のようなもので被(おお)われていた。そしてその上には「つまみ」がついていた。この大きな杯は盃自体と足台とからなっていた。この足台は後になってから手を加えられたものに違いない。
盃自体は褐色がかった鏡のようになめらかな足台とは全然違った材料で作られ、梨のような形をしていた。そしてそれは金で被われた小さな二つの取っ手が付いていて、それを持って持ち運べるようになっていた。それはかなり重いものであった。しかし台はいぶした金色で精巧にでき上がり、下には蛇とぶどうが付いていて宝石がちりばめられ、また台には小さな匙(さじ)が差し込んであった。
この大きな杯はエルサレム教会のヤコブのところに残された。そしてかつて発見されたようにもう一度世の中に出て来ることがあるだろう。小さな盃は他の教会に分けられた。一つはアンチオキアに、一つはエフェゾ教会に、残りは五つの他の教会へ持って行かれた。
この大きな杯は以前すでにアブラハムのところにあった。メルキセデクがそれをカナンの土地に持って行き、アブラハムの所でパンとぶどう酒の犠牲を捧げた時に用いた。
その後それはアブラハムに渡された。この杯はまたノアの所にもあった。それは箱船の一番高い所に置いてあった。モーゼもこれを持っていた。この杯はまるで始めから生物のようにこういう形で生まれ出て来たように見え、槌で打ち出されたものではないように見えた。イエズスだけが何でできているのかを知っておられた。』
こんな記事・内容を盲目的に信じられる訳がない!
もし、この引用が不都合な方、もしくは団体の方はコメント欄にてお知らせ下さい!
最後まで読んでくれて有難うございます。そんなあなたに幸運が訪れますように!!この記事の情報提供はダ・ビンチ・コードの解説のオリジナル記事によるものです。
グッドラック!!