忌部氏と藤原氏について取り上げたいと思います。
忌部氏と藤原氏のダ・ビンチ・コードに見る関連性についてご紹介したいと思います。
映画ダ・ビンチ・コードが上映され世界的な波紋を投げかけているが、それはそれで楽しく今まで宗教やら民族やら歴史やらに興味の無かった人びとに対して一つの警鐘となっていることは非常に喜ばしい事でもある。
しかし、最近いろんな方のブログを拝見する機会あるが、誤った知識であまりに堂々と人様にその意見を語り、もう少し調べてから発言されたらどうかと思うようなケースに出くわす事が多々ある。
今日のキーワードは忌部氏とすり替えであります。
●藤原氏の出自が忌部氏という祭司の出であることをおもうとき・・・・!?と、あるブログ内にコメントがありました。 またまた、大人気なく私も以下にあるようにコメントを書き込んでしまいました。 ま〜、私の扱うシームにも関係するので載せておきます!
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前略、以下に書くことは独り言の様な意味ですので気になさらないで下さいね。ちょっと、気になり一言添えたくなりました。
●藤原氏の出自が忌部氏という祭司の出であることをおもうとき・・・・!?とどなたかの発言にありますが、日本の祭祀を司っていた部族は3部族ありますが、忌部氏一族はあまりに藤原の勢力を嫌い、隠れ離れ去りました!
そして、これはあくまで私の考えですが、藤原氏は日本に取って、害悪にこそなれ決してためにはなりませんでした。このブログでは良く勉強していらっしゃる方が多いので喜ばしく感じますが、一筆啓上いたします!ご存知とは思いますが、蘇我氏への評価や、聖徳太子の存在など昨今の歴史観はかなり変化してきております。
私がよく使用する言葉にすり替えがあります。私が思うに日本史にもかなりのそれがあります。記紀・風土記・律令等々の編纂(藤原不比等)、天皇名(統治者)、蘇我氏の真実、中臣鎌足の出自、聖徳太子(不在かモデルか・神道家から仏教徒への疑惑の改宗)、その他、そして藤原氏の祭祀一族への混入と独占。
●一応記紀を信用したとしても、中臣・忌部氏は天津神系の同等関係にあり、忌部氏から藤原氏が出たという表現は論外の誤りです。
お調べになれば、すぐに解ることです。
加えて、史実として元々忌部氏の担当祭祀を中臣氏が独占・排除しようとし失敗しております。
その影響もあり、やがて忌部氏は朝廷から去ることになります。かの一文は現存する忌部氏末裔の方がご覧になれば卒倒されますかも?そして藤原氏の捉えかたを誤ると日本人のルーツと歴史を見誤ります。
ご注意を! 例えれば、親の敵を親と崇めるようなものです。
私はよく、●ペテロ=カソリック=藤原氏=アシュケナージと例えます。
この様な場合、ほっておくのが筋なんでしょうが、現存する一族の名誉がありますので書き込ませて頂きました。 御免なさいね。
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というものである。 ただ、世界の歴史は親の敵を親と崇めるようなものですとの言葉は自身でいうのも恥ずかしいが、この通りなのです。
いつの日にか、キリスト教なんていい加減な宗教なぞに頼らず、真実の神に又は指導者に介入して欲しいものである。
最後まで読んでくれて有難うございます。そんなあなたに幸運が訪れますように!!
さて、この記事はお役にたちましたでしょうか?
この記事の情報提供はダ・ビンチ・コードの解説のオリジナル記事によるものです。
グッドラック!!
忌部氏と藤原氏のダ・ビンチ・コードに見る関連性についてご紹介したいと思います。
映画ダ・ビンチ・コードが上映され世界的な波紋を投げかけているが、それはそれで楽しく今まで宗教やら民族やら歴史やらに興味の無かった人びとに対して一つの警鐘となっていることは非常に喜ばしい事でもある。
しかし、最近いろんな方のブログを拝見する機会あるが、誤った知識であまりに堂々と人様にその意見を語り、もう少し調べてから発言されたらどうかと思うようなケースに出くわす事が多々ある。
今日のキーワードは忌部氏とすり替えであります。
●藤原氏の出自が忌部氏という祭司の出であることをおもうとき・・・・!?と、あるブログ内にコメントがありました。 またまた、大人気なく私も以下にあるようにコメントを書き込んでしまいました。 ま〜、私の扱うシームにも関係するので載せておきます!
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前略、以下に書くことは独り言の様な意味ですので気になさらないで下さいね。ちょっと、気になり一言添えたくなりました。
●藤原氏の出自が忌部氏という祭司の出であることをおもうとき・・・・!?とどなたかの発言にありますが、日本の祭祀を司っていた部族は3部族ありますが、忌部氏一族はあまりに藤原の勢力を嫌い、隠れ離れ去りました!
そして、これはあくまで私の考えですが、藤原氏は日本に取って、害悪にこそなれ決してためにはなりませんでした。このブログでは良く勉強していらっしゃる方が多いので喜ばしく感じますが、一筆啓上いたします!ご存知とは思いますが、蘇我氏への評価や、聖徳太子の存在など昨今の歴史観はかなり変化してきております。
私がよく使用する言葉にすり替えがあります。私が思うに日本史にもかなりのそれがあります。記紀・風土記・律令等々の編纂(藤原不比等)、天皇名(統治者)、蘇我氏の真実、中臣鎌足の出自、聖徳太子(不在かモデルか・神道家から仏教徒への疑惑の改宗)、その他、そして藤原氏の祭祀一族への混入と独占。
●一応記紀を信用したとしても、中臣・忌部氏は天津神系の同等関係にあり、忌部氏から藤原氏が出たという表現は論外の誤りです。
お調べになれば、すぐに解ることです。
加えて、史実として元々忌部氏の担当祭祀を中臣氏が独占・排除しようとし失敗しております。
その影響もあり、やがて忌部氏は朝廷から去ることになります。かの一文は現存する忌部氏末裔の方がご覧になれば卒倒されますかも?そして藤原氏の捉えかたを誤ると日本人のルーツと歴史を見誤ります。
ご注意を! 例えれば、親の敵を親と崇めるようなものです。
私はよく、●ペテロ=カソリック=藤原氏=アシュケナージと例えます。
この様な場合、ほっておくのが筋なんでしょうが、現存する一族の名誉がありますので書き込ませて頂きました。 御免なさいね。
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というものである。 ただ、世界の歴史は親の敵を親と崇めるようなものですとの言葉は自身でいうのも恥ずかしいが、この通りなのです。
いつの日にか、キリスト教なんていい加減な宗教なぞに頼らず、真実の神に又は指導者に介入して欲しいものである。
最後まで読んでくれて有難うございます。そんなあなたに幸運が訪れますように!!
さて、この記事はお役にたちましたでしょうか?
この記事の情報提供はダ・ビンチ・コードの解説のオリジナル記事によるものです。
グッドラック!!
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コメント一覧 (7)
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- 2011年03月11日 05:13
- 秦氏の集いさん、コメント有難うございます。
あのうちゃんと全文読まれました?
>>>藤原は中臣。忌部は物部です。秦は百済でも新羅でもありません。
それがどうかしました???
藤原は中臣氏、忌部は物部氏が起源、これは常識なんですが。
それがどうかしました?
日本では、中学生から学ぶんですがね。
ま〜忌部←物部氏については、高校までの日本史での記述は非常に少ないですけれどね。
私の記事の中でそれに対する異論を述べている訳でもないし、コメントの主張が全く意味不明ですね。
>>>秦は百済でも新羅でもありません。
だから?
その通りなんですけれど。私の主張ではシルクロードの最果ての地から来たのでは・・・と想像しておりますが。
あのう、こういう意味不明のコメントもいずれは削除しますので、宜しくお願い申し上げます。
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- 2011年03月09日 05:31
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藤原は中臣。忌部は物部です。秦は百済でも新羅でもありません。
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- 2006年07月22日 12:29
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古さん、買いかぶり過ぎですね!笑い!
ま、私程度の知識でヒントの一つくらいは出せるかも知れないけど?
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- 2006年07月21日 20:53
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>加えて、史実として元々忌部氏の担当祭祀を中臣氏が独占・排除しようとし失敗しております。その影響もあり、やがて忌部氏は朝廷から去ることになります。
ふむふむ。神道の研究はずっと兄貴の方が先にいってますね。さすがです。兄貴が神道を研究される動機を知りたいです。
僕の場合やっぱり日ユ同祖論です。兄貴はどうですか。
それから明日東京に旅立ちます。あさって飛鳥さんに会える予定です。興奮で頭がおかしくなりそうです。兄貴一緒にシンクタンクやりませんか。僕は兄貴と知り合ったときからピンときていました。おおくぼさんや清風さんそして今回葉山さんという大物が加わってきました。こんな連中が100人いたら。わくわくしませんか。中でも兄貴にはまとめ役的なことをして欲しいと望んでいます。具体的なことはこれから相談していきますのでできればよろしくお願いしたいのですが・・・。ダメかな。古のお願いです。
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- 2006年07月21日 20:46
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まさに奇奇怪怪。古事記や日本書紀はあくまでサイド的な資料にしかならないということを知り、大ショック。今までの飛鳥先生の本の知識とキリスト教の知識でなんとかなるだろうと思っていた自分のあほさかげんに気付きました。でも、兄貴人間ってここから始まるもんですよね。自分のあほさを知って立ち上がるのがまず、始めの一歩だと思います。それにしても日本の歴史、分厚い壁です。
>一応記紀を信用したとしても、中臣・忌部氏は天津神系の同等関係にあり、忌部氏から藤原氏が出たと>いう表現は論外の誤りです。
兄貴すごいっす。実は僕も忌部氏から藤原氏が出たと思っていました。それも根拠があるわけでなく、どこかの聞きかじりでした。
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- 2006年07月21日 20:42
- 親愛なる兄貴へ 最近の悩みや近況報告や相談やいろいろです。
>忌部氏一族はあまりに藤原の勢力を嫌い、隠れ離れ去りました!そして、これはあくまで私の考えですが、藤原氏は日本にとり害悪にこそなれ決してためにはなりませんでした。
私は15年キリスト教の研究をしてきたのですが今年は神道を研究しています。次回作は神道とキリスト教の関係についてになると思います。
>ご存知とは思いますが、蘇我氏への評価や、聖徳太子の存在など昨今の歴史観はかなり変化してきております。
さすが兄貴日本の歴史も研究してるんですね。今、僕が読んでいる本には中臣鎌足が渡来人だった可能性が高いことや、蘇我氏が聖徳太子の一族を皆殺しにしたこと、実はその背後には中臣鎌足の陰謀があったらしいことが書いてあります。
物部は天皇家より前から国を納めていた一族。後から来た天皇家により制圧され、部族の類にされた。物部も葛城も天皇家と同格にある一族であった。スサノヲ=物部=忌部が本当の筋。
アマテラスとスサノヲは別の筋。古事記によって仕掛けられているもの。ツクヨミとは、スサノヲの別の名である。