ダ・ヴィンチ・コードの解説!>キリスト教
ダ・ヴィンチ・コード シオニスト
最後の晩餐 レオナルド・ダ・ビンチ
ところで、レオナルドは彼の最後の晩餐には所謂カリス(Chalice)は描いていません。
カリス(Chalice)などという存在、つまりローマ皇帝コンスタンチヌス帝以後のイエスキリストの権威捏造のための後付けのための存在など何の意味もありません。
故にですから、おそまつなグラスの数なんか関係ありません。それは物事の本筋から反れます。
聖杯には、3つほどの意味合いがあり非常にややこしいのですが、他にイエスの血を受けたものがその源流であり、最後の晩餐でワインを飲んだ杯を指す事もありますが、これは発見されたという話はありません。
聖杯とは、一例としてアーサー王の物語などに出てくる所謂聖杯伝説(9世紀頃のイギリスの書物から)の立派な杯のことであり、一般的にはカリス(Chalice)といいます。
ま〜カリスに関しては、マタイ伝とイギリスの英雄伝説が結びつき発展した話です。そして、当時の絵画最後の晩餐をテーマにしたものには、お決まりのように立派なカリスが描がかれるのが常識でした。よくよく考えると、もう絵画も解釈も滅茶苦茶なんですよね。
ですから、推測なんですが、レオナルドは従来の宗教画の慣習的な常識を覆しカリスを描かなかったのです。(書かなかった画家もいますが、年代が問題となります)
そのわけは、どうしてなのか・・・という話なんですが。
ダ・ビンチ・コードにも触れられていますが、レオナルドは小さなグラスが12・13個あろうとなかろうと関係なく、象徴的に三角形と対の逆三角形のヘキサグラム(六芒星)・ダビデの星をその隠された構図から連想させ、私が最下部に記した正しい血の系統をいずれの日にか、世に知らしめようと意図したのではないか・・・と我々研究家は思っているのです。
ダ・ビンチ・コードでは、ヨハネ=マグダラのマリア説をイエスの左横にヨハネを持ってくる事により、上手く発展させたわけです。そして、くどいようですがイエスが亡くなった当時、聖杯伝説なんて元々ありませんから。
9世紀初頭ごろ、イギリスの書物から発展し12・3世紀頃にキリスト教と結びつき、一つのコラボレーションしたわけですね。 そして、15・6世紀にかけてレオナルドが正しい血脈の存在を、自身の絵画の中に描いたわけですね。
そして、それは表立ってストレートには描けないから、暗号として、解る人間(そのグループ)にしか解らないように仕込んだのです! それは、古来から各々の図形が持つ意味合いから、答えが導き出せる様になっているわけですね。
そこで、意味・答えがあっち行きこっち行きしたら困るので、シンプルで強く・神聖な図形を大きく描き象徴として採用したわけです。レオナルドが聖杯伝説を知っていたかどうか、当時、当然知っていたでしょう?これは議論の余地はありませんから、話を進めます。(知らなかったという可能性はありますが関係ありません!)
◆とにかく、ダン・ブラウンが狙ったのは、神聖な正しい血脈なるものの創造ーこれが答えであり狙いです。
つまり、世界の一般大衆に、架空の人物イエス・キリストの血脈を連想させようというのが狙いな訳です。
そして、今回ダン・ブラウンがリチャード・アンドルーズとポール・シェレンバーガーのレンヌ=ル=シャトーの研究や、ヘンリー・リンカーンの『レンヌ・ル・シャトーの謎─イエスの血脈と聖杯伝説』)に触発され、この正しい血脈を聖杯伝説に元ずき(新説マグダラのマリアのMと)逆三角形と解釈し紹介したわけです。
それと、12使徒ですが、ルカ伝もありますけど12人が正確には誰か決まっていません。(新約を紙とペンを側によく読めば解ります) レオナルドの深い思考と美意識とその凄い知識はおわかりですかね? (3・3・1・3・3)又は(6・1・6)のバランスと構図から来る安定感。
イエスの言葉を聞き、その瞬間の12使徒の驚きと動き(瞬間的なムーブマン)、そして互いに確認し合うざわつきへと変わるその時を見事に描ききっています。 とにかく構図の解釈はありとあらゆる程あります。イエスとヨハネとのホモ説まであり、笑ってしまいます。
そして、問題の13ですが、レオナルドがカバラを知っていてもおかしくない。 つまり、13(数秘術)には何がしかの意味がありそうですね!それは、レオナルドというよりも、元々聖書自体の中に、旧約・新約共に12とか13にある意味が込められているという解釈が出てくるわけですねが。 又の機会に。
しつこいようですが、最後の晩餐は13人以外で描いてる画家はたくさんいます。(たくさんは言い過ぎかな?)ですから、13人にしたのはルカ伝を踏襲したのではなく、レオナルドの考えからです。
そして、レオナルドは所謂 大そうなカリス(Chalice)は描いていません。彼は、そんな権威付けの偶像崇拝のアイテムの一つなどに価値を見出していません。
つまりより真実に近い何かを知っていた可能性がありますね? 何を? マタイ伝は作られた話であることか?
つまり、キリスト教なるものは出鱈目な作り話だという事であり、それを作り出した連中について彼は知っていたかも知れない・・・という事が推測できるわけです。
ここのところも、1点だけを見つめては、答えは絶対に出ません。私が、少しかじった位ではどうしようもないので置いておきますが、12とか13にある意味がある事を覚えておいて下さい!そして、その数字の持つ意味と歴史はかなり古いし、旧約にも出て来ますが、ポイントはその解釈と使用法にどうも、裏・表がありそうなんですね?
それは、飛鳥昭雄の様にカバラでしか解釈出来ないという事・・・かも知れません。
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だから、くどい様ですがレオナルドは単純にルカ伝を踏襲し、ダン・ブラウンのいう取って付けた様な暗号が目的で、最後の晩餐を描いたのではないと、私は主張する訳です。
ただ、レオナルドの真意の先にあるものが何なのかが、まだはっきりとみえてこないんです。
純粋血脈なのか、神権なのか、選民思想の真実なのか、旧約聖書は本当に正しいのか、蛇=龍=知恵=堕落=神=人間=遺伝子=生物、ある程度の予測は出来るが、そして絶対にレオナルドには何かの秘密が多々あるのだが、彼の最後の晩餐でいったい・・・・・・・・・?
わかります?私が何を悩んでいるのか?少しここで整理します!
レオナルドという人物の知識・叡智と絵画最後の晩餐の位置付け、捉え方の違い
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ダン・ブラウンーイエスの血脈を守り・保護し・維持したグループ・集団の存在とペテロ(バチカン)の真実を暗号に込め描いた。 (新約ベース)
私 ーもっとイエスより古い時代の密議・叡智の存在を、たまたま、最後の晩餐を題材にして、かの真実か、特定のグループ・集団の普遍的な挨拶・合図・メッセージ・約束事として利用し描いた。
重用度はグループの維持が1番、出鱈目なイエスの血脈などはどうでもよい。
(旧約ベース)所謂、陰謀論の大元の連中の血脈の維持かも知れない。
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因みに、イエス・キリストなど存在しませんでしたと私は思っていますから、こんな分析してもあまり意味はありません。
単にダン・ブラウンの考え方と私の違いを述べているだけの事です。
以上、何とか言葉にしてまとめる事ができましたが、お分かり頂けましたでしょうか?
判らないだろうな〜!?
最後の晩餐 レオナルド・ダ・ビンチ
ダ・ビンチ・コードと最後の晩餐2
ダ・ビンチ・コードといゆーよりも、レオナルドについて知りたいあなたのために!
最後の晩餐・その秘密! それは、2つあるわけです!
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1、レオナルドの最後の晩餐にしかないものーナイフを持つ男!(所謂ペテロ)
2、所謂、聖杯について!(ダ・ビンチ・コード)
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昔は、NO1の解釈が当然一番の問題でした。
なかなか、最近はダ・ビンチ・コードで検索すると、単なるストーリーの説明や、人の受け売りや、な〜んにも解ってないのに不足な解説を付けたり、昔からの定説をさも自分が考えたようなパクリ引用文丸出しのHP・ブログばかりである。
嘆かわしい!(私の人格が乱れます!)
レオナルドが最後の晩餐に秘めた真実・ミナミの吟遊詩人編!
(オリジナルです)
ヒントの図解を書いておきましょう!
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A,[事物の体制の象徴]
蛇(知恵ある蛇・龍(たつ)) →( イブ ー アダム )
[そそのかす、心に刃]
B,[全ての教会の礎]
ペテロ(イエスの弟子の筆頭分派)→(マグダラのマリアーイエス)
左手+その形 [MMを制しながら蛇頭(の側面図)を象徴する]
右手+ナイフ [憎しみ・敵対心を象徴する]
[存在を歴史から抹殺する意思を象徴する]
[バチカンの意思・行動・歴史的事実を象徴する]
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◆★世界中で、私だけのオリジナルな仮説です!★◆
世間の皆さん、盗作しないで下さいね!
これは、いずれ、雑誌ムーにて発表するつもりですから。(笑い)
つまり、A・B図から何が導き出されるか?アダムもイエスも邪悪なる者
(蛇・ペテロ)に貶められたる者(マグダラのマリア・イブ)に依って、神から
追放されたり・使徒から見捨てられたり、裏切られたりしているわけです!
その状態はどいう事か?
つまり、真実・神の道・信仰から遠避けられている状態であるわけです。
そして、レオナルドは最後の晩餐を通して、ペテロ・バチカンに対して、我々
はお前達に依って真実・誠の信仰から遠避けられているのだ。
つまり、ペテロ・バチカンは神の道からは程遠い偽者であると宣言し、後世の
者にそのメッセージを伝え残してくれたのです。
ここで、ポイントとなるキー・ワードがあります。
それは、すり替えです。
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レオナルドは、つまり、まさにイエスの教えを継ぐ正当性の者を蹴落とし、
偽者であるものがすり替わった事実を知っていたのです。
又、知る立場にあったととも言えるでありましょう!
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そして、人類の歴史上もっとも大きなすり替わりが、ユダヤ人の中にあるのです。
(ちなみに、これは仮説ではなく事実ですので、誤解のないように)
今の白いユダヤ人達たち(アシュケナジーム)は元々ユダヤ人とは血のつながりも何もない民族です。
それが、我々はと、数千年の本当のユダヤ人の様な発言と行動を疑いもせず、恥じらいもなく続けているのです。
それも、数千年分の被害者意識まで持って。おかしいとおもいませんか?
いいですか、皆さん、彼等の民族は元々トルコ北部の辺りに住んでいたんです。 その時はユダヤ人でも何でもないんですよ。
そして、大きな事情によりユダヤ教に改宗して今日があるのです。
それをですよ、昔本物のユダヤ教徒が住んでたから、俺達も其処に戻り住む権利があると言って、今のパレスチナ問題になっている訳です。
判り易く例えるとですね、我々日本人がイスラム教に改宗して今のスペインに行きですね、昔ここはイスラム教徒が住んでたからとキリスト教徒のスペイン人
を強引に追い出すのと同じ事なんですよ。
おかしいでしょう。理屈に合わないでしょう。
ただ、彼等も別の意味ではかわいそうですけどね。
それは、イエスを殺したユダヤ教徒でもない彼らが、その濡れ衣を近世では
一身に背負い世界中から虐められたんです。
いいですか、ヒトラーもイエスを殺していない偽者のユダヤ人捕まえて、あいつ等は悪い奴等だと来たもんですからね。
金融と金がポイントに成るんですが長くなるのでやめます。
ユダヤ人については、又詳しく書きますが、昔はユダヤ教徒には簡単には
なれないんですよ。
ここは旧約をよく読めば判りますよね、大きなポイントです!
それが、数百年前から簡単に成れるように変化したんです。
当然それには深い訳があります。
以上、大きなすり替わりの件もご理解いただけましたでしょうか?
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さて、そして、これはキリスト教徒の大半も理解していない事実なのですが!
よく、神も仏もないものかと例えますが!
★いいですか、キリスト教もユダヤ教も、今現在は、表立って神は介入出来ないんです!
★つまり、今は(事物の体制)と申しまして、サタン(悪魔とも堕天使ルシファーとも)が、この世界を支配し・運営しているんですね。
良く言えば、サタンは神に雇われ社長として任されているのですね!
この地球と人類のそれをね!
ポイント1、で、所謂、聖書には残念ながら・喜ばしいながら、その結末が書いてあるんですね。
★★で、なぜか不思議なことに?
世界中の約3000弱のキリスト教徒、並びに、キリスト教徒でもないアホな仏
教徒たちも所謂ヨハネの黙示録なるものを信じたり、影響されているんですね!
ポイント2、いいですか? 旧約聖書には、救世主たる者は最後の預言者のはずだよ、多分!と救世主たる者の条件が提示されています。
(聖書が正しかろうが否かではなく、そう記載されています。)
ポイント3、イエスとヨハネ(ゼベダイの子)について!
預言と予言者の違い!?
(そこで、予言者にもランクがあるのではないか?と私は中学生の頃思っていたら世界中にはやはり、そのように考える人もいました。
当然当たり前のことですが!イエスとヨハネはどちらが偉いの?ここからは会話形式です。)
だってさ〜、ヨハネはイエスの後に予言してるやん。
ていうー事はさー、ヨハネが最後の予言者になるやん。
( ところが、ここんところは上手く処理さているけどね!)
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神からの啓示 → 救世主たる者・A級予言者 ・預言者
(神の言葉を預かる者)
聖霊・御使い(天使)→ 単なる時代の予言者
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ですから、私の疑問をお分かり頂けますか?
なぜに、世界はヨハネの黙示録だけを異常にこだわり受け止めるのか?
★だってさ〜、終末・人類の最後が書かれているからやん!とのご意見が
大半でしょうね! ま〜、そういう評価になるでしょう。
★だけどさ〜、イエスが言ったわけではないし〜、本人の創造・幻やん!
大変良く出来た意味不明の(笑い)! それに、単なる時代の予言者やん!
本人曰く、御使いに見せてもうた言うてるけど、サタンかも知れんやん!?
何か、証拠あるん?
なんで、イエスは終末の予言(本格的な)しなかったん?
本物の最後の預言者なら、それぐらい言うゆーても罰あたらんちゃうん?
なんか、自分の名を騙る奴がぎょうさん現れたり程度の事ばかり言うて!
おかしいやん? なんで? ヨハネの様な大きな話はないの?
★悔い改めよ! なんで?
御国が来るから?
御国が来たらどないなるん?
ポイント4、悔い改めるには、明確な根拠を示さなければならない。
それが、所謂、終末予言になるのであるはずだが?。
イエスはそこまで述べていない!
その先を述べている!(人心が乱れるのと福千年から先?)
ま〜、削除されたとの考えもわからん事もないが!(イエスの終末大予言?)
ヨハネの黙示録とは違ったりして!
恐い方が、大衆操作しやすいから?
第一、洗礼者ヨハネの方が黙示録のヨハネより格が上やん!?
何で、なが〜い旧約・新約の約6000年の中でヨハネだけがさもありなんと、
本格的な・具体的な予言をしたの?
それしか、残ってなかったん? それとも、見せたくなかったん?
他にもあるんちゃうん? (えっ、内容が違う!?)
やっぱり、恐い方が、大衆操作しやすいから???
つまり、扱いが難しい!ということですが、
さて、肝心な事に戻れば、レオナルドは最後の晩餐に、真実のキリスト
教(バチカン)の姿をイエスの最後の晩餐に遡り(さかのぼり)、その興
り(発祥)と興した人物を明確に示したのです。
いいですか、当時のバチカンがイエスの最後の晩餐という一大テーマの
絵画を見て、もしその意に沿わなければそれは恐かったんですよ。
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ケプラー・ガリレオしかり、レオナルドも危うかった!(実際逃げた)
レオナルドは、若い青年に手を出したからなんですが?(ホモ説)
ミケランジェロだって危うかったんですよ!
(パワーで押し切ったし、教皇の理解を得られたから助かった。2・3人変わったにも関わらず。)
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だから、当時のバチカンの連中の中にはペテロとナイフを持つ男の関係はすぐにわかった者もいたんでしょうが(これは私の勝手な推理ですがつまり、ペテロ=ナイフ=イエスに敵対の意思表示)、パンと魚を捌くのに使用するタイミングと解釈すれば、別にペテロが画面の中でナイフを持とうとおかしくない、と何とかお咎めなしだったようですが?
★ですが、基本的には、聖書の記載に有る様に、普段からペテロが実際にナイフを持ち歩き、見回りの役人等を傷つけた関係から、ペテロ=ナイフのイメージが出来上がっています。初期の最後の晩餐の画には見られないものですが、レオナルドがそのイメージを単純に表現しただけのものかも知れませんが?
しかし、このペテロのイエスを見つめながらヨハネに”裏切るのは誰なのか聞け”と迫っているこの図・この場面、尋常ではありませんよね!
私の記憶が定かではありません!でもま〜、そいうー事なんです!
レオナルドの精一杯の抵抗(秘密結社としての暗号)とみるか、偶然の産物とみるか?
さらに、解りやすく図解にすれば!
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1、キリスト教の歴史事実の確認!→バチカンの真実!
2、未来への意思、もしくは予言として、別の歴史的真実の証を暗示!
→ 真実の・分派のキリスト教→生きた聖杯伝説!
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★この考え方が一番大事で真実への鍵です!
そして、それはアダム、ノア、セム、アブラハム、ヤコブ、ダビデ、ソロモン、イエスと連綿に続く、真に正しく神に祝福された一族の歴史なのです!
(くどいようですが、ダン・ブラウンの本当のメッセージは上記ではありませんよ!)
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世界には、神に祝福されない一族・民族がいるのですが、何とその民族に限って我々こそが一番神に祝福されるに相応しいと主張しています!
これこそ、大きな真実のすり替えです。(アシュケナジーム・現イスラエル政府)
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はい、これが解れば99%ダ・ビンチ・コードだろうが、キリスト教だろうが明確に理解出来るはずですが?
えっ、まだわからん!?
困りましたね〜!
でも、何となく解りましたでしょう。
所謂、天皇家の家系図みたいなもんですね。
後は、事実の実証・解明ですね! ここから、又大変だ。
でも多分無理ですね!?
なぜなら、奴等は悪魔の様に巨大な力を持っているのです。
今、この様に書いていても少し恐いのです!
ダ・ビンチ・コード 解説
待ちに待ったダ・ヴィンチ・コードをやっと観る事が出来ました。
11時過ぎから映画館にはいりまして、徹夜になりましたね。
気持ち的には、素晴らしい!しかし、これは映画化されて待望のものが見れてうれしいーという気持ちが65%というーところでしょうか!??
<ラスト・シーン>

<R・ラングドンのファッションとイメージは原作とは全く違うのだが、何ゆえ変えたのか?>
<主人公のイメージを変えてまで、トム・ハンクスにキャスト設定する必要はなかったのに?>
<これまた、誰も言わないし判っていないが、ベストはやはりハリスン・フォードで決まりだったのに!ダン・ブラウンの前作『天使と悪魔』を読んでいた者達はがっかりである。>
どうしても私の好きなthemeなので贔屓目でみてしまいがちですが。かなり、原作を忠実に製作されていたと思っていたら、よく考えてみたら、実際かなりの部分が割愛されていました。笑い^^!
まあ映画に興すとそんなものです!昔からそんなものです。脚本家やプロデュサーといゆー連中は自分の解釈を原作より発展させ、原作よりより好いものを創り、素晴らしかったと絶賛されるのが夢であり、ライフワークなんですね、これが!当然監督もそうです。希に監督とプロデュサー・その他とイメージが違うと監督交代なんてことになったりするんですね!ただ、前半のルーブル内のシーンなんか凄いですよ!誰も言わないから、私が絶賛しておきましょう!それと、原作を読んだらもっと面白いことは間違いない!だが、しかしアジアの中でも特に日本人には難しいだろう!根本的にキリスト教の知識がないからである!その背景が解らないとルールが判らないでスポーツや囲碁・将棋を見るようなものであるから!といゆー事はフィリピンや韓国ではもっと話題になるかも!
★以下、ざっと気ずいた点をヶ条書きにしてみました。
NO,1 ラングドンがコレ警部補に連れて行かれるのは、ホテルから講演後のサイン会の最中に変わっていた!
NO、2 服が違っていた!ハリス・ツイードのジャケット、バーバリー のタートルネックではない! (チノパンツも)
NO,3 そして、これは大変重要な事なのだが、講演会の場面でハリソン・ フォードと紹介が無いのはロン・ハワード監督自身や同じプロデューサーで前作の天使と悪魔を撮るつもりは無い様である!ちなみに、天使と悪魔の中に出てくる大型粒子加速器はなんと日本にも 実はあります!原作ではスイスのセルン研究所(実在)に在ります!
NO,4 そして、コレはもっと若いはずで、J・レノのファーシュより年下であるはずだが!(私の勝手なイメージではないはず?)
NO,5 シラスはもう少し大柄な感じだと思ったのだが、普通の体躯で描かれ精神的な抑圧に苦悩する有様とその敏感で繊細でか細い性質が将に原作通りに表現されていました! 素晴らしいの一言!
NO,6 うう、う〜〜〜ん? なんだったかいな!?(方言です)忘れてもうた〜!
NO,7 後半は2時間半の中に何とか収めてました!(日本では、神社仏閣巡りといいます!この辺は展開が早過ぎて少し不満ですか!)
NO、8 あ〜、眠い! ラスト・シーンのラングドンが気付いたM・Mの棺の移された隠し場所(未来永劫に)が判った時の感動は原作を読まないとわからないと思います!
NO,9 サー・リーはもっと眼光鋭く狡猾なイメージでしたけど!?
NO,10 ラストで実の弟との再会は確か、しませんでしたね!クドクなるからかな!??祖母だけでした!(割愛してる!)
NO,11 アリインガローサ司教とシラスの最後はいかがなものでしょうか?(ここはかなり悲劇的に撮ってますが、私は原作派かな!割愛!)
NO,12 APPLEがわかるシーンの前後!(割愛!)
NO,13 ファーシュはオプス・デイとは関係ないはずだが!なかなか、手のこんだことを!(これは意味なしでしたね!)まあ最高に面白かった!(不満はあるけど、なにせ、映画化されるのを待ちに待っていましたから!)成程、良くみてみると結構(かなり)違うけれど、改めて、映画に起こすのに参考になりました!(率直に!)2時間30分に収めようとの努力の成果かな!?
★いろんな事を評論家ぽい人や一般の皆さんが恐らく批評なさると思うのですが、失礼ながら恐らく的外れな意見・主張が大半であろうと予測しています!(原作と違う・違うと、根本的な事を何も解らずに!)そこで、僭越ながら大胆にも私がヒントと言おうか、アドバイスを 少し差し上げたいとおもいます。皆さんのお役に立てれば、幸いです。語ると非常に長くなるので、簡単に箇条書きで書きます!興味のある方は、コメントにて質問されて下さい。
NO,1 人間イエスを認めると→マグダラのマリアを嫌っていたシモンペテロの墓の上に作り上げた(ユダヤ教徒のイエスはそんなもの作れとは 一言も言ってないのに、約70〜150年後に原型が出来現在に至る )ローマン・カソリック教会の都合が悪くなる!(この程度のことは皆さん 評論されるでしょう!しかし、この上4行を思いつく方は居ても、説明できる方は非常に少ないと思います!)
そして、フランス南部からスペイン(これは観点がずれると少し違う)にかけてイエスの血が続いた形跡がある!所謂、マグダラのマリアとロマのサラ伝説ですね。(当然100%実証など出来ませんが形跡・伝説があるのは事実です。)
NO,2 これを語る方は殆どいません!なぜなら、私の説だから!これまた、不思議な事に同じ名(当時マリアはたくさんいた)の母親の方がイエスより偉い位に祭り上げられている!WHY?聖母を祭り上げる事に依ってマグダラのマリアの痕跡・存在を消すために!→すると、世界中の幻視者は (日本では馴染が無く、知らない方も多いでしょう)でたらめを語り、もしくは悪魔(又は狐狸・低級霊)に騙されていた事になる。加えて、ルルドの泉やファティマの予言等全てでたらめとなる!集団催眠、もしくは、異性人の粋な演出であったかも知れない!(否定出来ない) 実際、中世の絵画には円盤形の空中浮遊しているものが多数あるし、中には イエスがロケットらしき物に乗り飛行していたり、はたまた受胎告知を受けて いるものまである。
NO,3 NO,1でも少し触れましたが、ユダヤ教徒であるイエスはバプテスマのヨハネの教団(集団)を途中から引継ぎ力を貯える。
そして、死を 迎えるのだが、所謂キリスト教になり教団が体制が整うのは70〜150〜200年後、又は数百年後とも言われている 。(鎌倉幕府と同じで完成度の観点に応じて学者に拠りけり)
つまり、キリスト教とは観点を変えるとペテロの教団とも言えるのである。だから、まだ言葉足らずなのだが、NO,1で書いた(ローマン・カソリック教会が都合が悪くなる!)程度の問題ではないのである!バチカンのデタラメと言えば、イエスは金髪碧眼ではない事はほぼ常識的になりつ つ、且つ当然、東洋系(もしくは浅黒い中近東系かも?)の人間であるのである!
皆さんは、例えばミケランジェロのピエタ像の母マリアを見て、白人と思い込んでませんでしたか? ラファエロ・その他の聖母子像画等々しかり!ヨーロッパの白人世界の中の白人至上主義者、アメリカの中南部から東部を基盤と するキリスト教原理主義者(注意!、イスラムではありませんよ!)達の信仰に 影響(強いダメージ)を与える。
NO,4 オベリスクをご存知ですか? →エジプトにもある、レバノ ン・エチオピアにも、あらゆる処に、そうワシントンD・Cにもあるし、太陽信仰と 豊穣と繁栄に象徴される正に男性性器をシンボライズしたもです!(その話は長くなるので止めます。そうつまりエジプトです!そして、それは古代バビロニアと謎の惑星二ビル・カインの末裔・カナン人・黒いユダヤ人まで 非常に濃い特殊な繋がりを顕し・示します。)つまり、ペテロを礎にして作られたカソリックはおおいに矛盾しているのである!
ちなみにサン・ピエトロ寺院(ミケランジェロ設計)の中は女性器そのものに象徴されています!((ダン・ブラウンも流石にそこまでは知らなかったではなく、書けなかったのが 、前作の「天使と悪魔」なのであり、すべてつながっています。だから、計 4冊(上下2冊)は読まないとだめなんです))
NO,5 その他まだあるのです。キリスト教については色々疑わしい事が、日本の記紀の様に多くあるが、この世 がある限り、人びとが知ろうが知るまいが、信じようが信じまいが、たとえ人類が滅 んでも、この世・宇宙の摂理と同じ位に真実・心理は決して滅びず存在し続ける のである。もしかしたら、それは創造者の記憶と同じものかも知れない!?少し飛躍したかも知れないが!
しかし、レオナルドもニュートンも巻き込むという事は、又、原作者の根底にあるものを慮ると、そういう事になるのである。さらに、人びとが聖杯を望むと望むまいとに係わらずに・・・結論として、聖杯は過去から未来へと永遠につずくであろう! ご理解戴けましたでしょうか。
以上、ここからは後に付け加えたものですが、もし仮に生きた聖杯が続いたとしたら、 一般的な意味での人格を持った真実の神がこの次元(この世) に存在した と仮定して、神は我々に介入しているのだろうか!?
判りますか、生きた聖杯といゆう事は、キリスト教もアルマゲドン(ヨハネの黙示録)も聖母信仰も、ヨーロッパのキリスト教に根付いた文化も建築物もオラトリオ(宗教音楽)もすべて嘘ぱちのデタラメの大いなる勘違いとあいなるわけす!大阪弁で表現すれば、あいつらアホやでようあんなもん信じとったなー!! と、なるわけです!
以上
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まだ、あります!ここからが肝心なところです。
ダン・ブラウンがダ・ビンチ・コードを利用して世に知らしめたかった事!
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★イエスの血脈の存在→現キリスト教会への挑戦!
★オプス・デイの存在を世に問う(非常に恐い存在です)
(誤解の無いようにはっきり申しますが、シラスの様な信仰の表現なぞに問題があるとか否とかではありませんよ。そんな小さな問題ではありません!)OPUS・DEIとフリーメーソン(P2)との繋がり、ヨハネ・パウロ1世の暗殺、CIAとの繋がり、中南米の支配(新たな麻薬ルートの開拓)、9.11、そして、その先には黒いユダヤ人達(現白いユダヤ人達)とも繋がって行きます、等々まさに神の名を借りた治外法権特権による悪魔の実践部隊とでも申せましょうか?
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いいですか、この位解ってやっと20%程度ですよ。恐らく70ページ位先でオプス・デイについて紹介・追求いたしますが、読者の皆さんは背筋が寒くなるかも知れませんね!?ご興味がお有りでしたら、先ずは下地となる知識をお付け下さい。
読み進んで頂けるのを願って止みません!

最後まで見てくれて読んでくれて有難うございます。そんなあなたに幸運が訪れますように!!この記事の情報提供はダ・ビンチ・コードの解説のオリジナル記事によるものです。それでは、今日はここまでです。又お会いしましょう。ごきげんよう!
ダ・ビンチ・コード ブログ指針とご挨拶

レオナルドが残した暗号とは?
レオナルドとは何者か?
果して、事実なのか?
単なる謎解きか?
真実への鍵?
ダ・ビンチ・コードについてお知りになりたい方歓迎いたします。
原作者ダン・ブラウンに代わりお待ちしておりました。
初めましてサンジェルマン伯爵と申します。
さて、皆さんは映画ダ・ビンチ・コードはご覧になりましたか。
面白かったですか、それとも期待はずれ、又は「もう最悪!ぜんぜん何がなにやらわからへんかった」と怒り心頭ですか?その先は?ペテロ・バチカン・ローマ教皇・ローマンカソリック・キリスト教世界がどうなる?イエスとは単なる予言者であり、正当なる血脈の継承者であり、人の子であり、神ではなかったのか?
なんてね、こんなパンフレットの写し丸出しのナレーションのブログばっかりで、皆さんは、原作を読み映画をご覧になり、ダン・ブラウンが何を主張したいのかわかりましたか?満足されましたか?
今から、遡ること33(2004年現在)年前、最後の晩餐やモナリザを模写したり、当時イタリア国営放送が全力を挙げて製作した「レオナルド・ダ・ビンチの生涯」、一編1時間半〜2時間で、全7夜に渡ってNHKにて放送された作品を見たり、この世の始まりから現代までの人類の歴史を探求する私の印象・解釈はまるで違います。
誤解が生じるといけないので整理しますと、私に取っては原作は、その存在を大いに評価すべきものであり、又映画は原作とはかけ離れた部分も多いのですが、本来のシームを貫いていましたので、どちらも評価致します。
しかし、映画の出来としてはもっと工夫があれば良かったのに・・・・という感想を持っています。
さて、これまで、「最後の晩餐」の謎については、Mの文字が象徴的(隠されている)に見えるや、ヨハネをイエスの左に寄せてみたり(大きく取り上げられたのは今回の作品からです)、ペテロの左手が鎌をイメージしてるだの、同じくペテロの右手が第三者のものだとかの説がありました。果ては、この絵画の歴史も知らないトンチンカンな俄かファンが唱えるイエスの足が意図的に消してあるだのと馬鹿げたお話にもならないものまで飛び出す始末です。
最近では、調べたら直ちに解るような事を無理やり7不思議や、肖った7つの謎に仕立て上げたりする日本のTV番組の幼稚さにもう我慢が出来ません。
まー、「モナリザ」に関しては、左右の手のサイズが違うだの、顔を半分に割ると別人で男顔・女顔に分かれるとか、背景も同じ原理で組み合わせるとしっかりした風景の山が現れるとか、目の横のおできで病気が推測できるとか、モナリザは2作ある(あります)とか、モナリザについてはまだましな話がありますが、それらも纏めていずれ解説しましょう。
但し、レオナルドダ・ヴィンチの絵画だけに眼が向かえば、見当外れも甚だしい結果で終ってしまいます。
ダン・ブラウンが、原作ダ・ヴィンチ・コードで「世に問うた問題提起」と「最後の晩餐」の謎解きは、全く関係していない訳ではありませんが、彼がキリスト教社会に投げかけたタブーへの挑戦に答えるものでは全くありません。
先に、はっきり申しますが、ダン・ブラウンがダ・ビンチ・コードという所謂小説を書いたのは、上記の約500年前に書かれた絵画の決して証明する事の出来ない謎解きのためになど書いていないんです。
ズバリ、映画「ダ・ビンチ・コード」は、「世論操作目的」のために、或る機関がダン・ブラウンに何某かの報酬と資金と情報を提供して書かせたものなのです。
この辺はキリスト教や海外の情報に疎い日本人には決して理解出来ないでしょうね。
決して断定はできませんが、少なくとも、私にはそう思えるのです。
ところで、原作ではなく映画の方をご覧になった方、そう私の周りの友人・知人達・酒場のお姉さん・立ち飲みのお兄さん・清掃のおばちゃん、皆ではありませんが70〜80%くらいの方が、つまらん、わからへんとお嘆きでありました。
元々、この映画ダ・ビンチ・コード(原作)の持つシーム・趣旨・メッセージは我々日本人には理解しがたいものであります。それはなぜか、そう宗教が絡んでいるからです。 それも、所謂キリスト教ですね。皆さんは、キリスト教について詳しいですか。
失礼ながら、日本人で人前でキリスト教・ユダヤ教・イスラーム教についての概略を説明出来る方なんて殆んどいらっしゃいませんよね。そこで、何とかダ・ビンチ・コードについてご興味がおありの方でけでも、この素晴らしい映画と言おうか原作の理解の一助に成らんがため今回こブログを立ち上げました。ただし、誤解の無い様に申しますが、以下に記載する趣旨でブログを運営致します。
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当サイトは、決してダ・ビンチ・コード内で取り上げられている主張やイエスの血脈を証明もしくは正当とするものではありません。実際、ダン・ブラウンの事実認識の誤り並びに極端な誇張等もあり、裏付けの甘さも目立ちます。
しかし、前作[天使と悪魔]に引き続きキリスト教会・世界に一石を投じた影響と価値は多大なものが有ります。そして、それはとても単なるフイクションですませられるもではありません。これに関しては考え過ぎだよというご意見もあるかも知れませんが、高所から見ればそのように感じる訳です。
其れ故に、当ブログはそれを原作の主張に捕われずに検証・思考・確認・発見・分析する旨を第一と致します。
又、当サイトの根幹をなすシームと考え方は、以下に記すものですので、映画のキャストや荒筋を期待されている方には多少難しいかも知れません。
「ダ・ヴィンチ・コードという原作・映画を通して、今まで見えなかった世界の真実を解き明かします!」
故に、原作ダ・ヴィンチ・コードに記されている内容が、真実とかフィクションとかの評価などはどうでもよいのです。
問題はこの一冊が、世界の真実を知るための、礎(いしずえ)か、問題山済みの国連や世界を支配する一族を暴き出す手段として、この世の現実から眼を背けて生きている民衆に一石を投じたものであると、私は評価しています。当サイトは、その意思を明確にするためにブログを立ち上げスタートしたのです。
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そして、ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」をより深く理解するためには、通り一辺等の知識や情報などでは全く役に立ちません。皆さんがアカデミズムに教わった歴史など、真実の扉を開けるには逆に足枷となる事でしょう。
このブログ内の記事は、別のブログで書いたものと新たに書き加えたもで構成されています。 全ての記事が筋道立って、又時系列にならんではおりません。いずれは、出来る限り記事の順と内容が関連するように書き直すつもりですので宜しくお願い申し上げます。尚、興味がある対象は、カテゴリー欄を最大限利用し参考にして検索して頂きたいと思います。
当サイトは、微力ながらこの世に蔓延る理不尽な支配と搾取に抵抗し、人類の財産を守り、人類史の真実の解明に挑戦しています。
さて、今回の記事は面白かったでしょうか。この記事は、ダ・ビンチ・コードの解説のオリジナルによるものです。
それでは次回まで、グッドラック